2024年10月1日火曜日

山紫水明の誤用

 山紫水明という言葉を辞書で引くと「目に映じて山は紫に、澄んだ水ははっきり見えること。山水の美しい景色の形容」(広辞苑)とあります。

 しかし「山紫水明」という言葉は元々は限定した時間の景色を言ったのだそうです。

 実は「山紫水明」という言葉は中国の言葉ではなく江戸時代に頼山陽が京都東山の紫色と鴨川の清らかなことをほめて言ったもの。山陽は友人達に宛てた手紙で「山紫水明」という言葉を使っているが、いずれも夕刻時の景色を指している。

 ですから、「山紫水明」という言葉は一般的な景色の形容ではなく夕刻時の景色を言い表したもの。

 日は傾いて東山の山肌はすでに紫色に翳っているが、鴨川の川面は夕陽の照り返しでまだ明るい、頃の景色を言っている。

 では、それが何時頃から今のような一般的な風光明媚な意味に使われるようになったのか?

 大正4~8年刊行の「大日本国語辞典」ではすでに一般的な意味として説明されているそうです。

 結論はこんなことのようです。

【山紫水明】

①日が傾いて山肌が紫色に見え、水面が夕陽の照り返しで明るい夕暮れ時の美しい景色。頼山陽の造語。山陽は東山と鴨川を望む書斎を「山紫水明処」と名付けた。②①の原義から転じて、時間帯を限定しない山水の風光明媚なことの形容。

※岩波新書 揖斐 高著「江戸漢詩の情景」より。 

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