2021年8月31日火曜日

よその町にある墓地

  昨日歩いたカシワ林の傍の樽川墓地は石狩市の墓地なのに住所は小樽市銭函5丁目になっています。

 実はこれには訳があります。石狩の樽川地区はもともと新川まで延びていました。

 それが、石狩湾新港建設の際、銭函への建設を主張する小樽市を説得するため(広大な後背地を持つ今の地が適地だった)、新しい港の管理は北海道、小樽市、石狩町の三者で行う事が決められました。あなたも一緒に管理すれば、不利益にはならないでしょう、と云う訳です。しかし、港の管理者となるには、その港が行政区域内になければならないので、石狩町が港に隣接する旧樽川の一部を小樽市に譲り、小樽市銭函4丁目と5丁目となったと云う事情です。

 その取り決めに従って、該当する地域に住んでいた樽川地区の人達は、石狩町へ移動しました。樽川発祥の地と云われる新川河口右岸には、オタナイ発祥之地碑が建っています。

 実は、石狩市には屯田墓地と云う札幌市の墓地があって、石狩市の墓地が小樽市にあり、札幌市の墓地が石狩市にあると云う珍しい形になっています。

2021年8月30日月曜日

カシワ林を横切る

  石狩には銭函からシップまで20㎞ほど延びた天然のカシワの海岸林があります。天然のカシワ林そのものも貴重ですが、それが現在まで残っていると云うことも自慢できることです。もっとも、残ったのは石狩がニシン場でなかったと云う事情もありそうですが。ニシン場ではニシン粕を作るのに膨大な量の薪材が必要であたりの山は禿山になったと云われています。

 巾500m~800mあるカシワ林を横断できるところは案外少ないのですが、そのひとつ樽川墓地近くの道を久し振りに歩いてみました。

 手前は狭く、奥に行くに従って、だんだん広い道になります。


 カシワ林ですからカシワが圧倒的に多いのですが、ミズナラやイタヤカエデなど他の樹種もけっこうあります。


 実の生ったカシワは意外に少ないようでした。

 左右のカシワの木を見ながら進んで、海へ出ました。

 目にぱっと海が飛び込んでくる瞬間はなんとも気持ちの良いものです。

 お天気で波も穏やか!

 気持ちをほぐして帰ってきました。

 

2021年8月29日日曜日

夏はまだ居残って・・

 空の雲を見ても

 路傍のコスモスを見ても

 もうすっかり秋です。

 防風林でも

 シナノキや

 ノブドウ

 ナナカマド

 マユミ

 などの実が生っていますが

 干ばつの影響なのか、去年たくさん生っていたオニグルミはひとつの実も見かけません。

 こんな風に秋の風情を眺めながらひと廻りしてきたら・・

 汗びっしょり!

 あら、あら、まだまだ夏はしぶとく居残っているようです。

  

2021年8月28日土曜日

今年もサンマが高い?

 1週間ほど前に今年のサンマも高そうだ、と書きましたが、どうもあまり安くはならないようです。

 昨日帰港した道東沖サンマ棒受け網漁の大型船(100トン以上)7隻の初水揚げは約85トンだった。

 水揚げされたサンマは早速根室市内の小売の店頭に並び、1匹180円で売られたそうですが、85トンは、過去最悪だった昨年の6トンこそ上回ったものの、2番目に悪かった一昨年の500トンをはるかに下回っており、今年も不漁が心配されているようです。

 さて今年のサンマのお値段は、どうなるのでしょうか?

  

2021年8月27日金曜日

代用教員の話

 坂口安吾(初めて読みました) の代用教員の話がなかなか面白いものでした。

 こんな件が出てきます。

 この子は然し本来よい子供で、時々いたずらをして私に怒られたが、怒られる理由をよく知っているので、私に怒られて許されると却って安心するのであった。あるとき、この子供が、先生は僕ばかり叱る、といって泣き出した。そうじゃない、本当は私に甘えている我がままなのだ。

 「へえ、そうかい。俺はお前だけ特別叱るかい」そう云って私が笑い出したら、すぐ泣きやんで自分も笑いだした。子どもとのこういうつながりは、主任には分からなかった。

 同じ子の話がもうひとつ

 彼は泣き出した。彼は学校の隣の文房具店で鉛筆を盗んだのである。牛乳屋の落第生におどかされて、たぶん何か、おどかされる弱い尻尾があったのだろう、そういうことは立ち入ってきいてやらない方がいいようだ、ともかく仕方なしに盗んだのである。お前の名前など言わずに鉛筆の代金は払っておいてやるから心配するなと云うと、喜んで帰って行った。その数日後、誰もいないのを見すましてソッと教員室にやってきて、二三十銭の金を取り出して、先生、払ってくれた?とききにきた。

 押し売りするわけではありませんが、面白いでしょう?

 

 

2021年8月26日木曜日

墓は皆無欲です

 朝刊のうた暦で面白い句に出会いました。

 墓は皆無欲です暇です秋の風  山田緑光

 こまめに墓参りに行っているわけではありませんが、私もお墓に行くとなんだかこの句のような感じを受けます。

 静まり返って何にも言わない墓が寂しいような頼りないよな・・・

 そしてまた、吹く風が微妙に何かを伝えているようないないような、不可思議な感覚です。

 案外それが親父やお袋との接点かもしれません。

 まあ墓地を離れるとそんなことは忘れてしまうのですが。

 

  

2021年8月25日水曜日

栗の木・切ろうか切るまいか

 もう何年も前に苗をもらった栗の木にようやく実が生りました。

 実は生らないし、どんどん大きくなるので、今年の冬に切ってしまおうと思っていた矢先です。

 それが、実が生ったとたんに切ってしまうのが惜しくなりました。

 毎年実が生れば、悪くありません。

 ただ難点は成長が早く大きくなり過ぎることですが、この冬はなるべき大きくならないで実も生る剪定を研究してみたいと思い直しました。

2021年8月24日火曜日

秋のはまなすの丘公園

  暑い日が続いてしばらく外へ出ていませんでしたが、久しぶりにはまなすの丘公園に行ってみました。

 もう鳥の声がまったく聞こえない公園は、全体に黄色く色づきトンボが飛び廻って秋の気配。

 例年ならこの時期は風に靡くススキが目立つのですが、木道の近くではあまり見られませんでした。

 代わりに一面にはまなすの赤い実が・・・


 まだ花もけっこう咲いていて、やはり公園の主たる存在です。


 ごくたまにですがエゾカワラナデシコの花を見かけました。

 川の近くに行くと、公園の中央部にはあまり見かけなかったススキがたくさんあって白い穂を風に靡かせていました。

 それからしばらく歩いて、湿地帯では、盛りは過ぎたようですが、ナバボノワレモコウがまだまだ花を残し・・

 エゾミソハギや

 サワギキョウも少し見かけました。

 さらにオグルマやユウゼンギクも多少。


 こうして歩いているうちに河口へ到着。先端が半島のように突き出しているのを見て、帰ってきました。


 

2021年8月23日月曜日

心頭を滅却すれば・・

  戦国時代好きな私は、武田氏ゆかりの恵林寺が織田信長に囲まれて火をつけられた時、住職のえらいお坊さんが「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と唱えて死んでいったと云う逸話は知っていました。

 その唱えた言葉の原典の漢詩が先週の土曜日のラジオ講座「漢詩をよむ」に出てきました。

 晩唐の杜荀鶴の七言絶句の最後の二行

 安禅不必須山水 安禅は必ずしも山水をもちいず

 滅却心頭火自涼 心頭を滅却すれば 火も自ずから涼し

 こちらは、火に焼かれたのではなく、作者が訪ねたお寺の主が暑い中、僧衣をきちんと着て静かに座禅している様子を描いたものです。

 7月の中旬から8月の初めまでの連日30℃を超えるあの暑い中にこの詩を思い出せば良かったのに涼しくなった今となっては手遅れです。


2021年8月22日日曜日

手稲区の歴史

  来月行う子どもたちの手稲散策のための下見に行きました。札幌市手稲区は、北区と並んで石狩市に隣接している街です。

 見て廻ったのは、主に山口運河とバッタ塚。

 山口運河は、明治30年に出来た銭函から石狩まで約13㎞の銭函・花畔間運河の手稲地区部分です。出来て数年もしないうちに運河機能はなくなり排水機能だけになるのですが、地元の歴史遺産を残そうと一部を一時期だけ汲み上げた水で満たし運河まつりと云う行事も行われています。今は水もなく、わずかに泥水が溜まっているだけでしたが、鴨が泳いでいました。


 ちなみにテイネはアイヌ語のテイネ・イで濡れたところと云う意味のようです。水はけの悪い地で、運河を掘ったり新川と云う大排水路を開削して排水に努めなければ農作業が出来なかったのでしょう。

 バッタ塚は、西瓜や南瓜の産地手稲山口地区の開拓の頃農作の障害となるバッタの卵を集めて埋めた後です。話に聞く、バッタの大襲来がたびたびあったのでしょう。


 もうひとつ感じたのは、手稲は手稲山の麓の街だけあってどこへ行っても手稲山を仰ぎ見る形になることです。手稲山では、昔は金が採れて昭和46年まで鉱山があったようです。

 最後は、バッタ塚から新川河口に下りて帰ってきましたが、どこの歴史も知れば面白いものです。


 

2021年8月21日土曜日

神威岬灯台と石狩灯台

 朝刊に「灯台レンズ60年ぶり帰郷」と云うタイトルで、積丹町の神威岬灯台で使われていた昔のレンズが戻ってきたことが報じられていました。

 60年振りにレンズが戻ってきた事にも興味を覚えましたが、なにより神威岬灯台が明治21年に始まったと云う事に関心を持ちました。明治25年に初点灯の石狩灯台と開始時期が4年しか違わなかったからです。

 その4歳年上の兄貴は、どんな姿をしているのだろうと・・調べてみると・・

 石狩灯台とは大分違う姿です。

 ちなみに石狩灯台の赤白縞模様にはエピソードがあって、昭和32年に木下恵介監督「喜びも悲しみも幾年月」のロケが行われた時、白い雪景色に白い灯台では映像効果が悪いと云うことで赤白縞模様に塗り替えられたのです。今なら、映えない、と云うところでしょうか。

 また、石狩灯台は道内21番目の灯台ですが、4歳しか年は違わないのに神威岬灯台は5番目だそうで、こちらは大分貫禄が違います。しかし、石狩灯台にも自慢すべき点もあって、現存する鉄製の建物では道内一古いのです。

  

2021年8月20日金曜日

サンマの味

 近頃は秋の味覚のサンマがさっぱり獲れないようです。

 去年は過去最低の漁獲量の3万トン弱で2008年の10分の1。これは、例年夏から秋にかけて太平洋沿岸に来遊するサンマが水温上昇で来なくなったことや中国や台湾のサンマ漁が本格化し資源量が減ったことに原因があるようです。

 今年も7月から行う道東沿岸の流し網漁では1匹も獲れず、昨日厚岸漁港に帰港した一艘が154㎏をようやく水揚げしたが、厚岸漁協直売所で売られた値段がなんと1匹3,780円。

 大型船も20日に出漁解禁となったが、水産庁の予測だと、去年よりはいくらか良いが過去2番目の不漁だった2019年を下回るだろうとのこと。

 この分だと1匹100円のサンマにはありつけそうにありません。サンマの味も忘れてしまいそうです。 

2021年8月19日木曜日

島原の子守歌

  円地文子さんの「南の肌」と云う小説に「島原の子守歌」のことが何度か出てきます。

 佐世保出身の私は、この歌をよく知っていますが、島原出身の宮崎康平が作詞・作曲した歌です。

 小説では、3番の歌詞、姉しゃんな どけ行たろかい 姉しゃんな どけ行たろかい 青煙突のバッタンフールが所々で使われています。

 謡われているのは、19世紀後半頃、金で買われて東アジアや東南アジアへ連れていかれ娼婦となった島原半島や天草諸島の女たち・からゆきさんの話です。

 バッタンフールと云うのは、外国向けの貨物船の総称。女たちはそんな船で先ず香港へ連れていかれ、香港から各地へ送られたそうです。

 物悲しい島原の子守歌を背景にした小説「南の肌」は、そんな境遇でもたくましく生き抜いた女性も出てきてなかなか面白いものでした。

2021年8月18日水曜日

悔しいコールドゲーム

 九州や中国地方など各地で大雨による被害が発生していますが、昨日の甲子園・高校野球でも雨は無情なコールドゲームを引き起こしたようです。

 大阪桐蔭学園と東海大菅生の試合。桐蔭が3本塁打などで3点リードする8回表、東海大は一死から連打して一、二塁、さあ反撃と云うところで無情の雨。そのまま雨は止まずコールドゲームになってしまいました。

 回の区切りで終わったのならともかく、いざ逆転と云うタイミングで中止では、泣くに泣けないでしょう!

 この夏の高校野球は、雨で3日順延するなどスケジュールの完遂も危ぶまれる程天候にたたられて選手たちが本当に気の毒です。