灘高で「銀の匙」を使って行われた橋本武先生の授業がどんなものだったのか興味があって調べてみました。
それは、中学の3年間を通して「銀の匙」を読みこなすと云う形で行われた。そんなことが出来たのは、灘高が中高一貫校であったこと、教師は3年間持ち上がりだったこと、授業内容については教師の裁量に任されていたことなどの背景があったから。
授業は、橋本先生手作りの資料を使って行われたが、先生はこの作成には何時間もかけた。分からないことがあると、作者の中勘助に直接手紙で問合わせたが、中もそれに対して丁寧に答えた。
後にその教材プリントを製本した研究ノートを中に送ると「こんなにまでしてお読み下さいまして御礼を申し上げます。これを拝見するとあべこべに著者の方で学問をすることになりそうです」と云う感謝の言葉が返ってきた。
読むにあたっては、徹底的に寄り道をするもので、例えば「ぺんぺん草」の記述があると、春の七草を調べたり、百人一首の光孝天皇の歌(君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ)を調べたり、秋の七草を調べたりさせた。
さらに、「銀の匙」は新聞連載で短い章を連ねる形だったので、生徒たちに各章のタイトルを付けさせた上、その章を200字ピッタリ(句点までぴったりと収まるのが条件)で要約文を書かせた。
以上のような授業だったようですが、今の様にネットで簡単に調べられる時代ではなったはず。生徒たちの大変さもさぞやと思われますが、その分やりがいもたっぷりだったでしょうね。
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