昭和20年8月15日の終戦の日に私は3歳でした。
玉音放送の記憶はまったくありませんが、空襲は見たことがあるような気がします。当時、山の手の家に住んでいたのですが、その家から見下ろすと街中が真っ赤に燃えていた記憶があります。もっとも当時3歳ですからその記憶もあまりあてには出来ません。あとで聞いた話が自分の記憶としてすり込まれているのかもしれません。あるいは、印象が強烈だったので、3歳児の心にも強く焼き付いたのか?
戦後の記憶と云えば、水泳の古橋です。次々と世界記録を更新、昭和24年の全米選手権で圧勝したフジヤマノトビウオのことはよく覚えています。それだけに、昭和27年のオリンピック・ヘルシンキ大会で8位に敗れたことへの落胆も大きかったのですが、今、考えるとすでにピークは過ぎていたのでしょうね。
昭和24年には、湯川秀樹がノーベル物理学賞をとったのですが、こちらは記憶にあるような、ないような。
ただただ、古橋の活躍に熱狂していたようです。
怖い記憶もあります。進駐軍のMP(憲兵隊)です。親父が経営していた会社(その頃私たちは会社の2階に住んでいました)の事務所に来て社員を尋問した時の恐怖は未だに忘れません。
もう70年以上も前の話です。
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