来月行う子どもたちの手稲散策のための下見に行きました。札幌市手稲区は、北区と並んで石狩市に隣接している街です。
見て廻ったのは、主に山口運河とバッタ塚。
山口運河は、明治30年に出来た銭函から石狩まで約13㎞の銭函・花畔間運河の手稲地区部分です。出来て数年もしないうちに運河機能はなくなり排水機能だけになるのですが、地元の歴史遺産を残そうと一部を一時期だけ汲み上げた水で満たし運河まつりと云う行事も行われています。今は水もなく、わずかに泥水が溜まっているだけでしたが、鴨が泳いでいました。
ちなみにテイネはアイヌ語のテイネ・イで濡れたところと云う意味のようです。水はけの悪い地で、運河を掘ったり新川と云う大排水路を開削して排水に努めなければ農作業が出来なかったのでしょう。
バッタ塚は、西瓜や南瓜の産地手稲山口地区の開拓の頃農作の障害となるバッタの卵を集めて埋めた後です。話に聞く、バッタの大襲来がたびたびあったのでしょう。
もうひとつ感じたのは、手稲は手稲山の麓の街だけあってどこへ行っても手稲山を仰ぎ見る形になることです。手稲山では、昔は金が採れて昭和46年まで鉱山があったようです。
最後は、バッタ塚から新川河口に下りて帰ってきましたが、どこの歴史も知れば面白いものです。
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