昨日歩いたカシワ林の傍の樽川墓地は石狩市の墓地なのに住所は小樽市銭函5丁目になっています。
実はこれには訳があります。石狩の樽川地区はもともと新川まで延びていました。
それが、石狩湾新港建設の際、銭函への建設を主張する小樽市を説得するため(広大な後背地を持つ今の地が適地だった)、新しい港の管理は北海道、小樽市、石狩町の三者で行う事が決められました。あなたも一緒に管理すれば、不利益にはならないでしょう、と云う訳です。しかし、港の管理者となるには、その港が行政区域内になければならないので、石狩町が港に隣接する旧樽川の一部を小樽市に譲り、小樽市銭函4丁目と5丁目となったと云う事情です。
その取り決めに従って、該当する地域に住んでいた樽川地区の人達は、石狩町へ移動しました。樽川発祥の地と云われる新川河口右岸には、オタナイ発祥之地碑が建っています。
実は、石狩市には屯田墓地と云う札幌市の墓地があって、石狩市の墓地が小樽市にあり、札幌市の墓地が石狩市にあると云う珍しい形になっています。