荒れるとは聞いていましたが、今朝はどこも真っ白。
ツゲの木にもこんもりと雪が積もっています。
朝に雪が積もっていたことはこの冬何度かありましたが、これまで道路はすぐに融けてしまっていました。
しかし、今日は午前10時で-2℃ですから、雪は消えないでしょう。
どうやらこの冬初めて一日中道路の雪が融けない日になりそうです。
荒れるとは聞いていましたが、今朝はどこも真っ白。
ツゲの木にもこんもりと雪が積もっています。
朝に雪が積もっていたことはこの冬何度かありましたが、これまで道路はすぐに融けてしまっていました。
しかし、今日は午前10時で-2℃ですから、雪は消えないでしょう。
どうやらこの冬初めて一日中道路の雪が融けない日になりそうです。
スーパーマーケットの誕生についてのテレビ番組を見ましたがなかなか面白いものでした。
◇1915年アメリカで多種の業種を1カ所に集めたら消費者には便利で売れるのではと云う発想で、マーケットが誕生した
しかし売れなかった⇒旧態依然の対面販売形式だったから。
◇その翌年、クラレンス・ソーンダースと云う人が、セルフサービス形式の店を出した
しかし、思ったほどは売れなかった⇒当時は自動車はまだ普及せず手で持てる量は限られていたから。
◇1930年、マイケル・カレンと云う人が店の横に大きな駐車場を設置し成功した
この頃は、ヘンリー・フォードが作った自動車が庶民層まで普及していた。
週に一度まとめて買い物をするような習慣が生まれた。
しかし、問題があった⇒大量に買い込むと、店から車まで何度も運ばなければならない
⇒そこでショッピングカートを考案した
⇒しかし、誰も使わなかった
⇒男性は乳母車(だと思われた)なんか使えるか、女性は乳母車に商品を置くのに抵抗感
そこで考えたのは⇒男優、女優を雇い、カートを使って優雅に買い物をする姿を見せた
⇒ようやく普及するようになった。
◇その後のスーパーの発展は、冷凍機能のある冷蔵庫や電子レンジの普及で冷凍食品が広まるなど商品アイテムが増えたことによる
◇日本のスーパーのはしりは?
1953(昭和28)年の紀ノ国屋だと言われるが、セルフ形式であってもむしろ高級店(青山にあった)で、本格的な廉価販売店は、昭和31年に出来た小倉の丸和スーパー。
こうしたスーパーの歴史を見ると、スーパーマーケットが単独で発展したのではなく、その背景には自動車や冷蔵庫、電子レンジなど技術革新があった事が良く分かります。
また、近年は宅配分野が伸びるなど、買い物の形態も変わりつつあるようです。
朝刊のうた暦。
おづおづと覗いて雪をたしかめる「左様ですか」と戻すカーテン 阿部久美
そうだそうだ、と頷ける歌です。
さてこの時、雪は積もっていたのでしょうか?
「左様ですか」とちょっと他人行儀な言い方をしているところをみると、「ああ、やっぱり今日も積もっているのか、雪掻きしなければいけないのか」と云う大儀だけど仕方がない、と云う気持ちが籠っているように感じるのですが、どうでしょうか?
日曜日のEテレクラシック音楽館・N響定期演奏会の指揮者は、桂冠名誉指揮者のヘルベルトプロムシュテットさんでした。
プロムシュテットさんは94歳だそうですが、そんな年とはとても思えないほど矍鑠とした指揮ぶりでびっくり!
その指揮ぶりは、衒いの無い正統的なもので、ペールギュントやドボルザークの交響曲8番の澄んだ響きは、安心して聴いていられる心地よさがありました。
N響とは長年のパートナーで息もぴったりでしたが、これからも元気に指揮をとってもらいたいものです。
昨日百貨店の事を書きましたが、4丁目の丸井、三越に対して駅前には五番館がありました。
実は百貨店形式の店舗の開設は五番館が一番早く1912(大正元)年です。
私は札幌に住むようになった昭和38年から北37条に下宿してバス通学していましたが、定期の終着を札幌にしていたのでけっこう五番館前のバス停は利用しました。
だから買い物と云えば大抵五番館。
その買い物の思い出は、何と云っても「ニシンの燻製」です。
ある時何気なくニシンの燻製と云うのを買ってお土産に佐世保にもって帰るとこれが絶品だと大好評で、それからはいつもお土産はニシンの燻製でした。
ニシンの燻製を一番喜んで食べてくれたのが食通の叔父でしたが、その叔父もずっと前に亡くなり、五番館も今はありません。
それもそのはず、あれから50年以上経っているのですから。
今朝は氷が張っていました。
いよいよ冬です!
ところで、習字を止めて半紙を買いに行くこともなくなりましたが、大丸藤井セントラルは操業130年になるそうです。
そんな老舗だったんですね。
大丸藤井は、1892(明治25)年に滋賀県出身の藤井専蔵が来道し、翌26年から紙の販売を始めたのが始まりのようです。所謂近江商人の流れです。
ついでに4丁目近辺の老舗と云えば丸井今井です。
こちらは、新潟人の今井藤七が1872(明治5)に来道して小間物屋を始めたのが最初。その後呉服店となり百貨店となったのは、1916(大正5)年。
丸井百貨店と云えば、誰もが「まるいさん」と親し気に呼んでいるのが内地者の私にはちょっと不思議でした。
私の生まれ育った地では、そんな親し気な店などなかったからです。
ちなみに、三越札幌支店は大分遅れて、1932(昭和7)年。
百貨店は、競争相手だった丸井と三越が同じ会社となり一番店を駅横の大丸に譲るなどすっかり事情が変わってしまいましたが、大丸藤井は変わらず頑張っているようです。
動物行動学者の鈴木俊貴さんの研究では、シジュウカラは言葉を持っているそうです。
シジュウカラを研究対象にしたきっかけは、鳴き声が鳴禽類の中でも群を抜いて複雑なことに気が付いたから。
例えば多くの鳥は捕食者を警戒する鳴き声をもっているが、シジュウカラは、捕食者ごとに鳴き声を使い分ける。
タカなら「ヒーヒー」カラスなら「ピーツピ」ヘビなら「ジャージャー」
シジュウカラの鳴き声は、「そばにいて」「ここにいるよ」「食べ物欲しい」「警戒しろ」「お腹すいた」「タカ」「ヘビ」「カラス」「集まれ」など15種類ほどあり、さらにこれを組み合わせて200以上の言葉を使っているそうです。
◇鈴木さんの研究
1.「ジャージャー」はヘビを表す単語か?
犬はワンワンと鳴くがこれは感情を表すだけで単語ではない。
鈴木さんは、3つの実験を行った。
①見せる
巣箱の上に天敵のヘビのレプリカを置くと「ジャージャー」と鳴いたが、これも天敵のカラスやテン等のレプリカを置いても「ジャージャー」とは鳴かなかった。
②聞かせる
録音した「ジャージャー」を聞かせると、巣箱の下や地面を見てヘビを探す仕草をした。
③サーチイメージ
人間は、熊と聞くと頭の中で熊をイメージする。シジュウカラはヘビのイメージを頭に描いているのか?
ひもを付けた細長い棒(ヘビに似た物)を木の幹に沿って垂らし、「ジャージャー」を聞かせながらヘビの動きの様に棒を引き上げる⇒12羽中11羽が接近して木の棒を確認した⇒ヘビをイメージして確認していることが分かる。
※3つの実験から「ジャージャー」はヘビを表す単語であることが分かる
2.シジュウカラは単語を持つだけでなく文章も作れる
モズなどの天敵が近づくと、警戒の単語「ピーツビ」と集まれの単語「ヂヂヂヂ」を組み合わせた「ビーツビ・ヂヂヂヂ」と鳴き、仲間が警戒しながら集まり、天敵を威嚇する。
逆の「ヂヂヂヂ・ビーツビ」を聞かせても知らん顔⇒語順を理解して解読している⇒二つの単語を合わせて文章を作っている。
3.組み合わせのルール(文法)を持つのではないか?
人間は、文法のルールを使うことで初めて聞いた文章でも理解する事が出来る。シジューカラは?
実験はルー大柴さんのルー語を参考に。
ルー語:逆鱗にタッチ(触れる)、藪からステック(棒)など
シジューカラは、他の鳥と一緒に群れを作っていて、他の鳥の鳴き声も聴き分けている。コガラの集まれは「ディーディーディー」でこの鳴き声にはシジュウカラも集まる。
では、シジュウカラにシジュウカラの警戒語「ビーツビ」とコガラの集まれ語「ディーディディー」を合わせた「ビーツビ・ディーディーディー」を聞かせるとどうなる?
自然界には無い鳴き声でも文法的に整っているので、シジュウカラは警戒しながら集まってきた。逆順では知らん顔。
※文法的に合っていれば、初めての鳴き声(文章)でも聞き分けることができる
素晴らしい研究ですね。シジュウカラが他の鳥より複雑で多様な鳴き声を持つのは、研究地の長野の森が鬱蒼としていて、お互いの姿が見えない中で連絡を取る必要があるせいではないかと云うことです。鈴木さんは、研究を進めて、これまで無かった「動物言語学」の確立を目指しているそうです。