2020年12月26日土曜日

なかにし礼さんと石狩挽歌

  作詞家のなかにし礼さんが亡くなりました。「知りたくないの」「天使の誘惑」「グッド・バイ・マイ・ラブ」「心のこり」「時には娼婦のように」「恋のフーガ」など数々のヒット曲を生み出し、作詞した曲は4千にものぼるそうです。

 私が思い入れがあるのは「石狩挽歌」です。と云うのは、中学の同窓会誌に何か書けと云われて、九州の同窓生に石狩を紹介しようと思って書いたのが「石狩挽歌」についてだったからです。

 「石狩挽歌」は石狩と云う名がついているのに石狩の事はなにも謡われず、朝里、オタモイなど小樽の地名ばかり出てきます。

 そもそも石狩ではニシンは獲れず、鮭漁で栄えた町です。なかにし礼さんは一時小樽に住んでいました。しかし、一家はニシン漁に手を出した兄の失敗によって小樽にいられなくなります。歌詞にはそう云う痛切な想いがこもっているのかもしれません。

 また、石狩挽歌には、古代文字、笠戸丸など聞き慣れない言葉が出てきますが、古代文字は小樽の手宮洞窟で見つかった岩面刻画で1600年ほど前に海沿いに住んでいた続縄文時代人が残したもの、笠戸丸は、日露戦争でロシアから奪いハワイやブラジルへの移民船として使われた船です。

 実は、石狩挽歌について書いたものが、ちょっと褒められたので、私の思いでのひとつとして残っています。

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