今年最後の保護センター勤務です。
ところが、朝の通勤でヒヤヒヤ。と云うのは、積もった雪がカリカリになって滑るためにかなりの渋滞だったからです。
保護センターへの通勤は、途中まで石狩湾新港の流通団地へ通う人たちと一緒になります。
まともに行くと8時45分の出勤時間に遅れそうだったので、国道を行かずに新港地区内を通る道へ抜けてなんとか5分前に到着することが出来て、やれやれ。
この2~3日の雪で、保護センターの観察園も真っ白です。
勤務納はなにやかやと案外忙しいものでしたが、無事終えて定時に帰路につきました。
保護センターは、来年4月まで休館です。
2016年11月7日月曜日
2016年11月6日日曜日
のんびりと競馬
昨日も雪が降りましたが、今朝はさらに積もっていました。
今日は午後からファンクラブと関連のある人達数名を石狩浜に案内することになっていたので、こんな天気では取敢えずは現場をざっと見てもらい、あとはお茶でも飲みながら話そうと考えました。
そうなると資料が大事になると、せっせと資料作りに励みました。
すると・・
ようやく出来た頃にメールが来て・・
今日石狩に行くのは雪の為取りやめるとのこと。
がっかりですが、資料は今後役に立つことだし、今日一日まったく自由になったのは、嬉しいことです。
最近は保護センター勤務などで、日曜日にゆっくりしたことはありませんでした。
久しぶりにのんびり競馬を観戦することが出来ます。
今日のレースは、アルゼンチン共和国杯。
出かける予定だったのですでに4番人気の馬を買ってしまって、あとはゆっくり見るだけです。
そしてテレビの中継が始まり、馬体重を見ると私が買った5番はプラス12㎏とかなり太目、暗雲がただよってきました。
それでも信じるしかないと、発走を見守りました。
すると・・
レースで5番は直線ジリジリと伸びて2着に上がったところがゴール!
まずはめでたく当たり。
残念ながら1着、3着が人気馬で配当は180円と低いものでしたが、当たれば文句はありません。
さらに来週も期待したいところです。
今日は午後からファンクラブと関連のある人達数名を石狩浜に案内することになっていたので、こんな天気では取敢えずは現場をざっと見てもらい、あとはお茶でも飲みながら話そうと考えました。
そうなると資料が大事になると、せっせと資料作りに励みました。
すると・・
ようやく出来た頃にメールが来て・・
今日石狩に行くのは雪の為取りやめるとのこと。
がっかりですが、資料は今後役に立つことだし、今日一日まったく自由になったのは、嬉しいことです。
最近は保護センター勤務などで、日曜日にゆっくりしたことはありませんでした。
久しぶりにのんびり競馬を観戦することが出来ます。
今日のレースは、アルゼンチン共和国杯。
出かける予定だったのですでに4番人気の馬を買ってしまって、あとはゆっくり見るだけです。
そしてテレビの中継が始まり、馬体重を見ると私が買った5番はプラス12㎏とかなり太目、暗雲がただよってきました。
それでも信じるしかないと、発走を見守りました。
すると・・
レースで5番は直線ジリジリと伸びて2着に上がったところがゴール!
まずはめでたく当たり。
残念ながら1着、3着が人気馬で配当は180円と低いものでしたが、当たれば文句はありません。
さらに来週も期待したいところです。
2016年11月5日土曜日
子供たちの化石採集
ファンクラブの活動で子供たちの化石採集にスタッフ参加しました。
未明から降り出して白く積もった雪にもめげず、7人の子供たちが参加しました。
石狩から車で30分ほどの望来(もうらい)の海岸には、900万年~750万年前の望来層と云う地層があり、この地層からは貝などの化石が出てきます。
ただ近くに海へ出る道がないため、かなり手前で車を止めて、砂浜を歩いて望来層のある現場に向かいました。
現場に着いたら、化石探しの始め。海岸の礫の中には化石が埋まった石が混じっているので、それを探します。
川で運ばれた石炭やめのうもあります。
30分ほど探して化石やめのうを見つけて砂丘の風資料館に持ち帰り、標本をつくります。
資料館で調べたら、持ち帰った化石のほとんどがワタゾコウリガイと云う貝の化石でした。めのうや石炭も集まりました。
それぞれの化石を木の台座に糊付けして、標本の出来上がり。
子供たちの歓声が響く一日でした。
未明から降り出して白く積もった雪にもめげず、7人の子供たちが参加しました。
石狩から車で30分ほどの望来(もうらい)の海岸には、900万年~750万年前の望来層と云う地層があり、この地層からは貝などの化石が出てきます。
ただ近くに海へ出る道がないため、かなり手前で車を止めて、砂浜を歩いて望来層のある現場に向かいました。
現場に着いたら、化石探しの始め。海岸の礫の中には化石が埋まった石が混じっているので、それを探します。
川で運ばれた石炭やめのうもあります。
30分ほど探して化石やめのうを見つけて砂丘の風資料館に持ち帰り、標本をつくります。
資料館で調べたら、持ち帰った化石のほとんどがワタゾコウリガイと云う貝の化石でした。めのうや石炭も集まりました。
それぞれの化石を木の台座に糊付けして、標本の出来上がり。
子供たちの歓声が響く一日でした。
2016年11月4日金曜日
寒さに震えながら植物調査
ファンクラブの活動で、植物調査を行いました。環境省指定の植物定点調査で、月に一度同じ場所を観察調査するものです。
定点調査なので中止するわけにもいきませんが、強い風が吹くかなりに悪条件。
ところどころには雪も残っていました。
寒さで手がかじかむ中、頑張って午前でなんとか調査を終えましたが、なにしろ過酷な条件下の調査でした。
しかしそんな苦労が報いられて、通常は5月一杯がせいぜいのイソスミレの花を見つけるという僥倖に恵まれたのでした。
もうひとつ不思議だったのは、小学生さんの一団と会ったことで、聞いてみると札幌の小学校とのこと。
こんな日にわざわざ札幌から出てくるなんて、生徒さんたちが可哀想な気がしました。
定点調査なので中止するわけにもいきませんが、強い風が吹くかなりに悪条件。
ところどころには雪も残っていました。
寒さで手がかじかむ中、頑張って午前でなんとか調査を終えましたが、なにしろ過酷な条件下の調査でした。
しかしそんな苦労が報いられて、通常は5月一杯がせいぜいのイソスミレの花を見つけるという僥倖に恵まれたのでした。
もうひとつ不思議だったのは、小学生さんの一団と会ったことで、聞いてみると札幌の小学校とのこと。
こんな日にわざわざ札幌から出てくるなんて、生徒さんたちが可哀想な気がしました。
2016年11月3日木曜日
保護センターの閉館
保護センターの勤務日でしたが、その保護センターは今日で閉館となり来年4月28日まで冬期休館です。
季節は晩秋、センターへの道すがらに見たカシワ林はすっかり褐色になっていました。
センタ―の観察園も今はもう何も花がありません。
ハマナスの実とツルウメモドキの実があるだけです。
館内整理のため、あと一度勤務しますが、今年5月から月に4度ほど勤務していた保護センター勤務もしばらくは休みです。
2016年11月2日水曜日
庭木の剪定
今年最後のみどりのリサイクル日(除草した草や剪定した木の無料回収日)は11月14日です。
ですからそれまでに庭木の剪定を終えなければなりませんが、気にはなっていてもなかなか取り掛かるふんぎりがつきませんでした。
それが、今日は陽が差していくらか暖かそうなので、午後からの例会に備えた習字の清書の後、ようやく重い腰をあげることにしました。
ところが、始めてみると、なかなか捗りません。お昼までに、わずかな量をこなしただけでした。
これは、大変!こんなことでは14日にはとっても間に合わないと思い、習字の例会から帰った後も頑張りましたが、まだまだやれたのはほんのわずかです。
明日は保護センターの勤務日なので無理ですが、明後日からでも少しずつやらないといけないようです。
ですからそれまでに庭木の剪定を終えなければなりませんが、気にはなっていてもなかなか取り掛かるふんぎりがつきませんでした。
それが、今日は陽が差していくらか暖かそうなので、午後からの例会に備えた習字の清書の後、ようやく重い腰をあげることにしました。
ところが、始めてみると、なかなか捗りません。お昼までに、わずかな量をこなしただけでした。
これは、大変!こんなことでは14日にはとっても間に合わないと思い、習字の例会から帰った後も頑張りましたが、まだまだやれたのはほんのわずかです。
明日は保護センターの勤務日なので無理ですが、明後日からでも少しずつやらないといけないようです。
2016年11月1日火曜日
悲しい船
仲間が「やはた丸」を見つけた、と案内してくれました。
その船は、ボロボロになった小屋の中に置かれていましたが、その小屋も壁が半分倒れているような有様です。
「やはた丸」は、石狩川河口渡船場で昭和34年から運行していた船です。
鉄製の船であるやはた丸が就航する前は、すべて木造船だったので、冬期川に氷が張ってしまうと渡船が出来ませんでした。
そこで冬期は、柳の枝を敷き何度も水をかけて凍らせた氷橋を作って通行していました。
やはた丸は、一年中渡船が出来るようになった云わば渡船場の救世主とも云うべき存在でした。
そんな歴史のあるやはた丸のみじめな姿を見ると、ちょっと痛ましさを感じてしまいます。
石狩川河口渡船場は昭和47年に石狩河口橋が出来た後、昭和53年に廃止になりました。
その船は、ボロボロになった小屋の中に置かれていましたが、その小屋も壁が半分倒れているような有様です。
「やはた丸」は、石狩川河口渡船場で昭和34年から運行していた船です。
鉄製の船であるやはた丸が就航する前は、すべて木造船だったので、冬期川に氷が張ってしまうと渡船が出来ませんでした。
そこで冬期は、柳の枝を敷き何度も水をかけて凍らせた氷橋を作って通行していました。
やはた丸は、一年中渡船が出来るようになった云わば渡船場の救世主とも云うべき存在でした。
そんな歴史のあるやはた丸のみじめな姿を見ると、ちょっと痛ましさを感じてしまいます。
石狩川河口渡船場は昭和47年に石狩河口橋が出来た後、昭和53年に廃止になりました。
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