2021年6月25日金曜日

朝顔

 家人が播いた朝顔が大分大きくなってきました。今年もたくさんの花が楽しめそうです。

 ところで、家人は子供の頃に育てた朝顔が褒められたと云う良い思い出があるようですが、私はと云えば、朝顔に水を灌ぐ時の清涼感(まだ暑くならない大気、水滴の冷たさ)がなんとなく残っているようないないような。かなり記憶があいまいです。

 実際住んだ家のことを思い返してみても、1年生までは海沿いの会社の2階で庭などまったくない家、2年から3年までは、山の手の家で庭がありましたが朝顔の記憶はなし、4年から6年は街中の木工所の一角の家でこれも庭はなし、中学以降はまた最初の海沿いの家と、辿っていってもどうも記憶の中に朝顔は登場しません。

 にもかかわらずぼんやりと朝顔に水をやる記憶が残っているのは、どこかの家に朝顔が植えてあって、水をやったのでしょう。おふくろは花の趣味はなかったので、植えたとすると親父でしょうが(私が種を播いた記憶はまったくありません)、可能性のあるのは街中の木工所の家だと思います。当時はテラコッタなどと云う洒落たものはなかったので、木箱にそこらの土を入れたのでしょう。あまり体裁の良いものでなかったので、記憶が薄れてしまったのか? 

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