帯広市内の私設博物館「昭和のナツカシ館」のことが新聞に載っていました。昭和30年代の物を中心に4千点が展示されているとのこと。
その記事に刺激されたのか、子供の頃の事が頭の中に蘇ってきました。
終戦の年、私は3歳。疎開していた山地の家から空襲を受けた眼下の町が赤く燃えている光景を眺めた記憶があるのですが、この記憶は怪しいものです。3歳ではそんな記憶が残るとは思えません。きっと後から聞いた話を刷り込んだものではないでしょうか。
子どもの頃の思い出は、ラジオとともにあります。新諸国物語の笛吹童子や相撲中継(栃錦のファンでした)
その次のターニングポイントは、テレビの普及。
私の故郷・佐世保では、テレビが入ってきたのは昭和33年頃だったのではないでしょうか。
最初はテレビのある家にみんなで集まってプロレスなどを見たものです。力道山全盛の時。
我が家でテレビを買ったのは、それから2∼3年後だったでしょうか。「番頭はんと丁稚どん」や大村崑ちゃんのミゼットなど。高校生の頃です。
と云うことでなかなか懐かしい光景が頭の中を駆け巡ったことでした。
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