漱石の小説「坊っちゃん 」のモデルは、同志社大学出身の弘中又一と云う人だと言われているそうです(半藤一利著・漱石先生ぞな、もし)。
弘中は、漱石と同じ明治28年に愛媛県立伊予尋常中学校(松山中学)に赴任しており、さらに翌年、漱石と歩調を合わせるように松山中学を辞任していると云う小説と似通った背景もあるようです。
弘中は同僚の漱石についてこんな風に言っています。「漱石ハ非常ニ感ジノ善イ男デアッタ。漱石ハ偉イ男デアッタ。シカシ生前ハ彼ヲ第一流ノ作家トハ、ドウシテ思ヘ無カッタ」
ただ、「漱石先生ぞな、もし」の著者半藤一利さんは、弘中が長州出身であることから、江戸っ子の坊っちゃんのイメージには合わないと言っています。
真偽のほどは?
0 件のコメント:
コメントを投稿