稚内の通称・稚内赤れんが通信所から太平洋戦争開戦の指令「ニイタカヤマノボレ」の電文が発信されたという新聞記事(発信されたと言われると書いてありますが)を見て、不思議に思いました。
子供の頃からその電文は佐世保の針尾送信所から発せられたと聞かされていたからです。
そこで、調べてみると、「ニイタカヤマノボレ」の電文が発信されたと言われる所は他に船橋送信所と刈谷市・依佐美(よさみ)送信所がありました。
困った時のAI頼みで、チャットGPTに聞いてみると、どこが発信したという正確な一次資料は残っていないようです。終戦の時に削除されてしまったのでしょう。ですが状況から見て有力なのが船橋、同時送信したかもしれないのが依佐美で、否定できるのは、針尾送信所と稚内送信所だそうです。しかし、質問を変えて聞くと、違う答えも出てきてAIさんもあまりあてにはできないようです。
ところで、佐世保・針尾送信所は、「ニイタカヤマノボレ」の電文を送信したかどうかは別にして、100年以上経過しているのにまだしっかりと建っていて、当時のコンクリート製法技術力の高さを表す(火山灰が混ぜてあるそうです)建造物として2013(平成25)年に国の重要文化財になっているようです。

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