月に2度通う「古今集を読む」の講座の時、地下街を上がって会場のビルに入る前に必ずテレビ塔が見えます。
今はテレビ塔としての機能はないのに変わらずテレビ塔と呼ばれているのは、それだけ市民に馴染みがあるからでしょう。
講座のたびに塔を見上げてそんなことを思っていたのですが、朝刊の特集版にテレビ塔と手稲山のテレビ送信所のことが載っていました。
テレビ塔が完成してNHKが道内初めてテレビ電波を流したのが1956(昭和31)年。5年後には、全国初の電光時計が設置されたようです。
ところが、その翌年開局した北海道放送(HBC)の送信所は手稲山頂に作られました。テレビ電波は直進性が強く、標高の高い送信所ほど遠くまで電波を届けやすいためです。
そのうちNHKも1962年に手稲山頂に移動、59年に開設した札幌テレビ放送(STV)も65年に手稲へ移動してテレビ塔は電波塔としての役目を終えたようです。
結局テレビ塔からテレビの電波が発信されていたのは10年足らず。
しかし、「東京タワー」などのような固有名詞ではなく「テレビ塔」と云う普通名詞が今も残っているのは面白いものです。
と思ったのですが、テレビ塔の正式名は「さっぽろテレビ塔」で、ちゃんと固有名詞でした。
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