昨日のテレビで、3月26日に新青森~新函館北斗間の北海道新幹線が開通するのを記念した「北海道交通革命の140年」と云う大変面白い番組が放送されました。
北海道は、もともとサケやニシンなど海産物を漁獲するため、海沿いに町ができた。
ところが、明治になって三笠地域に有望な石炭埋蔵地があることが分かり、これを本州に運ぶ手段として、鉄道が敷かれた。これが、小樽と三笠をつなぐ幌内鉄道(明治15年開通)
積み出し港として発展した小樽には、大きな木造桟橋がつくられ、貨物列車は桟橋に乗り、下部の蓋を開けて桟橋の下に停泊する船に直接石炭を流し入れるようになっていた。
その後鉄道は函館から札幌を通り北は旭川から名寄まで、東は南富良野の落合までと帯広~釧路が敷設された。
名寄からは、木材が運ばれた。
しかし、日高山脈に阻まれて、落合~帯広間の鉄道敷設は難しかった。
明治40年、ようやく狩勝線が開通し十勝の豆など農産物が運ばれるようになって帯広が発展した。
札幌~帯広は、昭和56年に経路の短い石勝線が開通し、狩勝より1時間も短縮されて3時間で行けるようになった。
一方、本州と北海道に横たわる津軽海峡は、青函連絡船でつないでいた(明治41年~昭和63年)
青函連絡船にも工夫があり、岸壁まで延びた線路を使って、貨物列車を直接船に乗せていた。このため北海道の農産物輸送は飛躍的に伸びた。
ところが、昭和29年に洞爺丸が台風の影響で沈没し死者・行方不明1,155名と云う大惨事が起き、津軽海峡を安全に通る方法として海底トンネルが構想された。
ゆるい地盤のために異常出水などに苦しめられた難工事だったが、青函トンネルは昭和63年に開通した。
このトンネルのおかげで新幹線も走らせることが出来た。
ただ、トンネルは貨物との共用のため、安全のためにはどうしてもトンネル内は140㎞でしか運転できず、東京~新函館北斗間は4時間を切れないでいる(4時間2分)
こんな話でしたが、交通だけでなく北海道そのものの歴史も辿れる大変面白い放送でした。
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