市民カレッジの講座「北海道農業の歩み」を聴きましたが、なかなか面白いものでした。珍しくスタッフではなくいち受講生として気を遣わず聴いたのも面白く感じた原因のひとつです。
北海道開拓と云うと、屯田兵を思い起す方も多いと思いますが、屯田兵はどちらかと云うとロシアの脅威に対する防備と云う面が強く、実際に開拓が飛躍的に進んだのは、明治19年に設置された北海道庁により進められた殖民区画の選定からだそうです。
殖民区画は、300間(540m)の区画を6戸に割ったもので、1戸あたり5haとなり、これが今も北海道の農地の基準となっている。従って道路もそれに沿って何号何線と呼ぶことになる。
北海道農業の原型は畑作だが、第一次大戦後の転換で稲作、畑作、酪農の三本柱となった。
第二次大戦後は、酪農の大規模開発や米の減反による複合経営(園芸作物)が加わった。
以上がおおまかな講座の概要ですが。90分と云う短い時間の中でよくまとまったお話でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿