いよいよ大晦日。
朝刊にこんな歌が・・
何はともあれこれだけはせねばすまぬやう年の瀬の障子いそがしく貼る 伊東音次郎
ちょっと似たような状況ですが、昨日は半日かけて、車庫前を除雪。
正月に来る息子が車を入れられるようにするためです。
車に乗らなくなって、車庫前は雪の降るままにしておいたので、それを取り除くのはけっこう大変。
息も切れましたが、これで息子も困らずに済みます。
今年最後の大仕事(?)でした。
ともあれ、今年1年のご愛読ありがとうございました!
ラジオで言っていましたが、年末がいつから始まるのかは、辞書には載っていないそうです。
試しに我が家の広辞苑を引いてみましたが、確かに、としのすえ、としのくれ、歳末とあるだけでいつからとは書いてありません。
年末と聞いてすぐに思い浮かべる「年末ジャンボ宝くじ」は11月20日から12月21日までの販売。
では年末大売出しはどうでしょう。
これは、商店街によって終わりが25日だったり30日だったりバラバラですが、始まりはたいてい12月1日からです。
結局年末という言葉は、ひとそれぞれで使っているようですが、私は12月20日から末までを思い浮かべます。
近頃は歩くことが多くなったのですが、雪道を歩ける靴は長靴しか持っていませんでした。
そこで、ホームセンタ―へ行って、防寒ブーツを買ってきました。
さて、その使い心地は?
内側はボア仕様で暖かそうですが・・
長靴と比べてどれだけ滑らないで歩けるかですね。
昨日の朝までに石狩の積雪は40㎝。今年一番の積雪です。
おかげで雪かきに大わらわ。
取り敢えず除雪車が通っただけで、生活道路は完全に除雪されない状態でした。
そんな中、歩いて15分の生協まで買い物に。
ありがたいのは、歩道ロータリーできれいに除雪された歩道。歩道に雪があってはとても歩けるものではありません。
車に乗らないと、こんなことも切実に感じます。
ただ歩道のついた幹線道路はこうして歩きやすくなっていますが、生活道路には歩道がないので車道を歩くより仕方がありません。
昨日も、歩いていたら後ろからピピッと鳴らされてしまいました。まあ、生活道路では飛ばす車はいないので轢かれることはなく精々クラクションを鳴らされるくらいですが・・
久しぶりに温泉で一泊。但し格安のひとり10,000円。
この価格ではどれだけ満足できるのか、楽しみにしている家人ががっかりするようなことにならなければ良いがとちょっと気をもみながらバスで定山渓のホテルへ。
結局温泉なのにあまり暖まらなかったことが唯一の難点であとはそれほど失望することもなく家人もけっこう楽しんでいたのでほっとしました。
ただ、びっくりしたのは、従業員がほとんど外国の人だったこと。訪れるのが大抵外国人なのはもう随分前からの温泉旅館の常ですが、従業員までそうなったのは、いつからなのでしょうか?翌日行った札幌の大手文房具店でも外国人の店員さんがいましたし、もはや外国人なしでは日常生活が維持できない、というのはどうやら本当のようです。
もうひとつ、変っていたのは、浴場の入り口に本のコーナーがあったこと。これなら、長風呂の家人を待つ時に便利だと単純に思ったのですが、どうやら、第一寶亭留(ホテル)・翠山亭というホテルで営業している風呂屋書店の影響があるのかもと後で知りました。
そんなことでまずまず失望もせずチェックアウトして札幌に戻って買い物をしましたが、なんとまあ、札幌駅周辺は工事中だらけ。新幹線開業に向けての駅前再開発がすごいことになっているようです。
石狩に閉じこもっていると、そんなことになっているとはまったく分かりません。
色々、世相を垣間見た二日間でした。
22日の有馬記念は、64年振りに3歳牝馬が優勝しました。私が買った馬は4着で、ハズレ!
今年の競馬もあと1週。
私の成績は例年並みの的中率でまずまずと言おうかそれでは不満足と言おうか。
年頭にはいつも新しい思考法で予想して的中率大幅アップと意気込むのですが、人間それほど変われるものではないようで、どの年も似たりよったりです。
来年もまた新たな挑戦と張り切ることでしょうが、果たして?
昨日は冬至でした。
それを意識したわけではないでしょうが、家人がパート休みの一昨日に南瓜と小豆を煮たいとこ煮を作っていました。
これは家人の好物で季節に関係なく時々作りますが、私はどちらかというと苦手のほうで、たまに付き合う程度です。
ところで、どうしていとこ煮というのでしょうか?南瓜と小豆はいとこ同士でも何でもありません。
と思って調べたら・・
①元来この料理には、ごぼう、大根、にんじん、里芋など根菜類も入れるが、それをおいおい煮ていくから、甥、甥で、甥と甥はいとこだからいとこ煮、という説
②野菜は最初めいめいで下煮するので、姪と姪はいとこ、という説
があると書かれていましたが、本当でしょうか?
いつその知識を頭に入れたのか分かりませんが、童謡「ふるさと」で歌われる、恙なしや友がき、は、病気をもたらすつつが虫に犯されることがなく無事ですか?と言う意味だと思っていました。
ところが、先日ラジオで、つつがなし、という言葉を取り上げていたので、改めて調べてみると、私が間違っていたことがわかりました。
つつが、という言葉は古語で、病気、災難という意味。
発熱をともない死にいたることもある風土病がダニの幼虫が媒介する細菌病であることが明治時代に分かり、その虫(ダニ)がつつがむしと名付けられたのだそうです。
私の誤った知識とはまったく逆だったのです。
今度故郷を歌う時は、恙なしや友がき、のところを力を込めて歌うことが出来そうです。
昨日は、お寺さんが見えることになっていました。
待つ間は手持無沙汰です。
でもいつ見えるか分からないので、小説など読むのもちょっと・・・
こういう時に一番良いのは、一区切りが短い短歌や俳句の解説本です。
という事で、永田和宏さんの「近代秀歌」を引っ張り出してきました。
でたらめに開いたページにこんな歌が載っていました。
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
佐々木信綱
調べの良い歌ですね。佐々木信綱には、こんな歌もありました。
幼きは幼きどちのものがたり葡萄のかげに月かたぶきぬ
斎藤茂吉が長崎医学専門学校へ赴任した時の歌。
朝あけて船より鳴れる太笛(ふとぶえ)のこだまはながし竝(な)みよろふ山
また、こんな面白いのもありました。
馬と驢(ろ)と騾(ら)との別(わかち)聞き知りて驢来り騾来り馬(ま)来り騾と驢と来る 土屋文明
と、楽しんでいるうちに・・・
チャイムが鳴って・・お寺さんが見えました。
テレビの科学番組の受け売りです。
カクレクマノミという魚は、群れで一番大きな個体がメスとなり、2番目に大きい個体がオスとなる。その他の個体はオスでもメスでもない。
万一、一番大きなメスがいなくなったら、2番目に大きかったオスがメスに性転換し、3番目に大きな個体がオスとなるそうです。
ただし、どういう仕組みで体の大きさを判定しているのかはまだ解明されていない。
ミジンコの生殖がまた変わっています。
通常はメスが卵を産んで、クローン個体が爆発的に増えるが(単為生殖)、卵が生存できない冬が近づくと、メスはオスを生んで有性生殖をする。これにより生まれた卵はクローンの卵より何倍も大きく、寒さなど悪環境に耐えることができる。
生物は、各種でそれぞれの生殖戦略を取って生存をはかっているのですね。
岩見沢市で72時間降雪量が87㎝にもなったそうです。
岩見沢は若い頃2年ほど住んでいたので他人事には思えません。
元々岩見沢は多雪地帯で、冬はなかなか大変です。私が居た時も、事務所の戸を開けるには高くなった歩道の雪に階段をつけなければなりませんでした。
毎朝車を出すのが一苦労。除雪にはかなりの時間を取られました。
まちの中心を札幌から旭川への国道が通っているのですが、冬場は、まちの境から事務所までたどり着くのに、夏場10分のところが1時間以上もかかるほど車が渋滞しました。ただ、今はバイパスが出来ているので大分違うでしょう。
懐かしい思い出です。
蜂が作る六角形の巣は、整然としてびっくりするほど精緻ですが、実は人間が作るビルディングなどとは全く違う作り方なのだそうです。
ビルディングは、全体像を頭に入れて設計図を描き、それに基づいて作ります。つまりまず全体像ありきです。
ところが、蜂の巣は1から始めて全体に至るというやり方で作られる。ある地点から3方向に伸ばしていくと出来上がりが六角形になる。ですから、精緻なように見えて、案外歪みもありお終いのほうはかなり歪になっているそうです。
そう聞かされると納得ですが、1から始めてあんな立派なものが出来上がるのですから、それはそれですごいものです。
ライフハックという言葉は知りませんでした。日常生活をより効率的で快適にするための工夫やテクニックのことをいうそうです。
おばあちゃんの知恵袋といったところですかね。
もともとhackという英語は切り刻む、叩き切るという意味のようです。
それが、hackingとなると不正侵入になりますね。
ライフハックに戻って、私はそんな知恵は持っていませんが、さしあたり雪道を滑らないように歩く方法は知りたいところです。
そこでネットで調べてみると、足を蹴るようにして歩かないで、膝を持ちあげて前に運ぶようにすると良いそうです。
早速やってみるかな!
子どもの頃、ドリトル先生シリーズは大好きでよく読みました。透明な殻を持つ大カタツムリの殻の中に入って航海する場面などワクワクしたものです。
それを思い出して、2年ほど前に改めて読もうとしたのですが、あることに疑問を感じ読むのをやめてしまいました。
というのは、先生と弟子のスタビンズがおいしいソーセージを食べる場面が出てきたからです。
先生は動物や鳥たちと話が出来てみんな友達です。家には豚のガブガブも住んでいます。そんな先生がおいしそうにソーセージを食べるのはおかしいのではないか、と思ったのです。
ところが、自身小さい頃からドリトル先生が大好きだったという生物学者の福岡伸一さんは「先生がソーセージが大好物なのは、生きることにフェアなのだ」と言って肯定しています。
生物学者としてドリトル先生のフェアネスを求めたい、とも言っています。
私は、架空のユートピアの中に真理はなくてもよいのではないか、と思うのですが。